だけど、それでも、だからこそ
これを書き始めたのは午前一時です。
深夜、こんな時間に文章を書くなんて自殺行為ですからもし後になって恥ずかしかったらすぐに消します。
「だけど、それでも、だからこそ」というアルバムを買いました。
最近活動を終了した、同年代のバンドのアルバム。
五曲入り1000円の一枚のアルバム。
そのタイトル、その言葉が今本当に胸にささる。
なぜならわたしも「だけど、それでも、だからこそ」って、思っているから。
わたしはずっと特別な人間になりたかったです。
理想の自分、がいて、それになれたら、わたしの夢はかなうとおもっていました。
恥ずかしいことについ最近まで。
小さいときは今よりずっとずっと目立ちたがり屋でした。
なぜって、見てもらう事は喜びだったから。
たとえ、幼稚園のお芝居で白雪姫に選ばれなくて、意地悪な魔女の役だったとしても、
同級生を泣かせるくらいの老婆の芝居をして、皆に注目してもらえたらそれでよかった。
でも、当たり前ですけど、
幼いころは「小さいから、可愛い」。しかしその万能感みたいなものを引きずったまま、わたしはすくすく育ち、思春期を迎え、この日本の大ぜいの少年少女と同じように、ミュージシャン達に憧れました。
彼らは、「普通」ではない人たちでした。
でも私は、どこまでいっても凡庸な人間でした。
身長は159センチ、体重は50キロ前後、足のサイズは23.5。顔は可もなく不可もなく、性格は明るくも暗くもない。
「器用貧乏」と言われて、深く傷ついたこともありました。
あとは、「カメレオン女」とか。
傷ついたってことは、図星だったわけです。
私の持つすべての要素が、言っているような気がしていました。
「お前は普通の。平凡な。なんのとりえも特徴もない女だ」と。
わたしはそれを見ないようにしながら、生きていました。
「今は、そうだけど。私は本当はずっとすごいんだから。もっとやれるんだから。」
そう言い聞かせていました。
大学に入って。
出会った人たちが、私の事を認めてくれました。私が生きてきた人生だったり、私の出来る事を、認め、大切にしてくれました。
私は、やっと自分の好きなように生きられて本当に嬉しかったです。
でも、それと同時に、私は現実を直視することにもなりました。
今まで、ただの夢物語だったから。現実になる事はなかったのです。
例えば、バンドとか。20歳を超えたこととか。あと働く事もそうだし。
なんだろう、自分の人生で、「いつか」と思っていたことが次々に現実に起きてきて、
それが、思ってたよりずっと難しかった。そして、ああ、私はやっぱり、ここまでなのかもしれない。って思うこともたくさんありました。
「私は、本当はすごいんだから」って思うことが私の原動力だったけど、
本当は、なんて言ってるうちに、もう、22歳を迎える年になってしまった。
愚かです。
やりたいことは、もっとすごい勢いで、大急ぎで着手しないといけない。
それだけはわかってきました。
しかしながら、冒頭の文句に戻りますが、
「だけど、それでも、だからこそ」って、おもってしまうのです。
何回も失敗してるのに、何回も自分の実力の天井らしきものを見ているのに、夢はかなわない。
自分のできる限りの努力をしても、こんなもんなのかって、思いたくないけどわかってしまう。
そして、心が折れました。
何回も折れました。
でも、折れても戻ってまた同じ「理想の自分」に向かって行ってしまうのはなぜなんでしょうね。
「だけど、それでも、だからこそ」って思ってしまうのは、どうしてなんでしょう。
きっと私だけではないと思います。
人間の心の謎。
(私が敬愛するオードリーの若林さん曰く、中毒なんじゃないかって。たまーにうまくいくから、それを求めて、同じ行動を繰り返す、って。)
ね、いつか報われるといいな