年賀状をだすこと

 

 今年も残すところあと一ヶ月です。

 

私が個人的に年末を感じるのは、

灯油やさんが車で走りながら流している「ゆ~きやこんこ~♪」のメロディ。

「年末ジャンボ宝くじ」のCMをみて、「もし当たったら何買う?」と話すこと。

近所の和菓子屋さんの軒下に、年末年始向けのおもちが並び始める風景。

 

いつも通りの師走感にほっとする反面、私の中で例年と少し違うのは、「年賀状」をちゃんと書きたいなと思うようになったことです。

 

ある日ふらっと立ち寄ったコンビニで、年賀状を買ってみようと思いました。

が、いったい自分が何人くらいに年賀状を書くことになるのか、なかなか計算できませんでした。自分にとっての「友達」は少ないけど、そんなふうに限ってしまわずに、高校の頃の後輩とかにも出したいし…

 

曾祖母や曽祖父がつけていた日記をよくこっそり読んでいるのですが、後ろの方には必ず知り合いの住所と名前、プロフィールなんかのリストがまとめられています。

今だったらラインとかメールで済むのに、大変だったんだな~と感心しつつ、自分としてはそういうのは面倒くさいし、なんのためになるの?とすら思っていました。

 

しかし、自分が年賀状を出したいという気持ちになると、そういうつながり方っていいなと思うようになりました。

 

ラインやメールは気軽でいいんですが、受け取る方としては、普段の用事とごっちゃになってしまって特別感が無いし、

出す方としても、返事を期待せずに、ささやかな挨拶だけできたら嬉しいなという気持ちには、年賀状という方法が合う気がします。

 

もちろん住所を知らない人には、年賀状を送れません。

けれどそのために「教えてください」という連絡をするのは少し気恥しさがあります。

相手も自分のことをきれいに忘れてしまっている、というところに不意に送り付けるのが理想です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

卒論を書き終えて思ったこと

 

あけましておめでとうございます。

2020年です。(もう15日だけど)

 

そして本日卒論を、ていしゅつしました。もうなにもかきたくありません、あたまつかいたくないです。きょうはびーるになりたいです。

 

これを書いてるのはちなみに提出日前日の深夜ですからヤラセです。

ごめんなさい。

 

今は、なにも気にせずに文章を書いていいってこんなに楽しいのか!!!っていう状態に入っております。

 

だから卒論関係で今となって後悔していることを、書き残しておきたいんですね。

だって明日にはパアになってるからね。

 

私が今後論文を書くときにぜっったいに気を付けようと思ったことは、たった一つかもしれません。

 

古典について考えるとき演繹法は無理!帰納法でやるべきでした!反省!

(※もちろん例外もある…とはおもう…多分…)

 

自分の日記みたいなものなので、(読む人そんなにいないと思うけど)もし「はあ?んなもん間違ってるわい」って思ったらそう思っててください、私はこう思ったってだけです。

 

えんえきほうってなんやろう、ってきっと明日の私は思っているのでメモします。

 

で、なんか、いい解説してるサイトないかなーって思ったけどビジネス系の意識高そうなのしか見つからなくて嫌だったので載せません。あきらめてぬるい解説をします。

 

演繹法→結論らしきものを持って用例にあたるやり方

帰納法→用例にあたりながら結論にたどりつくやり方

 

なんとなくこういうイメージでわたしはこの言葉を使ってます。おかしかったらスイマセン、指摘してください。言葉の間違いについてはぜひ教えてください。

 

あっ忘れてましたけど、これは「日本文学」の、さらには「中世文学」の、「御伽草子」っていう一ジャンルについて書いた経験をもとにしてます。御伽草子の世界は本当にカオスが広がっているからこそ、このやり方なのかもしれません。でも、古典みたいに、基本的に断言できないものについて研究してる文系の人にはたいてい当てはまるのかなあ?わからん。でも、実際の例は、簡単にまとめられるような、一筋縄でいくようなものではないっていうのは、いろんな問題に共通してることですね。

 

 私は「テキストをきちんと読む」ということを、つまりいわゆる高校までの古典の勉強みたいに、語釈して訳したり、作者について調べたりすることだと思ってたんです。

 でも、それは間違いでした。「テキストをきちんと読む」っていうのはもっと幅広く、あたまをやわらかーーーくして読むことでした。

 

演繹的にやろうとするとうまくいかないので先生に相談にいくと、

「テキストをちゃんとよめって言われてたじゃない」といわれました。

「テキストをちゃんとよむっていうことは、この文章の典拠、原拠とされている文章をしっかり読んで比較して、ふさわしくなければ自分で探すこと」

的なことを、あんまり説明されたわけではないんですが言われました。


つまりはそのテキストが生まれるに至った時代背景というか、大きな文脈みたいなものを理解する作業がとっても大切なんだなって。


(同時代の他の作品をみると、同じ言い回しが見つかったりとか。。)

 

一生懸命訳してたのがバカみたいでした。もっとはやくわかってたらもっと有意義に研究できてたと思います。これが最大の後悔です。

つまり、恣意的にみないってことですね、文章を。

繰り返しますけどこれ全部自分への教訓です!!

 

あーもうなんかかんじつかいたくないのにかんじつかっちゃうからこのはなしやーめよ!!!

とにかく、今後論文を書くときのために、一番の教訓を得たって感じです。

 

でも、めちゃくちゃ失敗したけど、全くの無駄だったというわけではないから、まあ百歩譲って自分を許してあげようと思います。

結局今回提出した論文にはかけらも載せられなかった用例とか、引用文献とか山ほどあるけど、これはおもしろそうだと思える内容であったことに違いはないからです。

だからまた改めてそっちの山にも登りたいなって感じです、嘘ですけど。

 

あと、番外編としてはこんな感じでした。

 

○夜型生活になるのはどうしようもないかもしれない。抗うのをやめたら楽になった

○おいしい飲み物は必須

○お湯に溶かすタイプの袋に入ってる飲み物の粉?(説明下手)が特にいい

たまごボーロは手につかないし脂分も少ないし、PC触る時によいお菓子

○やさしい先生と厳しい先生に頼れると最高(飴と鞭)これはゼミが無い日中限定

○そして仲間と一緒にやると辛くても雑談が楽しかったからいい思い出に

○妙に掃除にはまった(自己肯定感を得たいがため)

○面白い深夜ラジオをききながらやるとよい

 

つまりオードリーのオールナイトニッポンのおかげで、この卒論が完成したといっても過言ではない。ってことですね、納得です。ありがとうオードリー。謝辞にもかきたかったなあ。

 

とにかく一つ、肩の荷がおりました。

 

はやくもう一つの荷もおろしたい!!がんばろ。

 

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうすぐ遠くに行ってしまう姉と、神戸という街

 

 

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 私の姉の話を書きます。

彼女はもうすぐ海外に移住してしまうので、当分会えなくなります。

寂しいですが、私も大人にならないといけないと思わせられる出来事です。

 

 姉とはいっても正確には従妹で、今年二七歳です。あっちがどう思っているかはわからないけれど私は姉のように思っています。もう一人、三〇歳の姉もいて、二人とも仲は良いですが特に年が近い姉にはあらゆる影響を受けました。

 

 よくふざけて、「いつか私達の話を小説か何かにしてな、笑えるから」と彼女達はいいます。最近知ったことがたくさんあるのですが、私がもし同じ立場だったら絶対に彼女達のようにはいられないと思います。

 詳しい話はまだ私も全体を掴めていないし、彼女達にも悪いので胸の中で温めておいて、いつかちゃんと昇華させたいと思います。

 でもとにかく私が知る限り一番強くて、優しくて、そして明るくて、

エネルギーが常に全開という感じで、いるだけで浮足立ってくるような人達です。

 

 

 思い出がありすぎます。

 記憶の中の姉は、いつも遠くを見ていた気がします。あらゆる意味でです。

友達に囲まれながら、でも決して友達を家には呼ばず、休日に私が遊びに行くと「おいで」といってベッドの上で洋楽を流しながら新調したネイルや、海外セレブの雑誌を見せてくれました。姉がくれる服はいつも嗅いだことがないような甘い香水の匂いが染みついていて、私が何も話さなくても姉のおしゃべりは止まらなくて、好きなものがたくさんある姉の話を聞いているだけで楽しかったです。

 

 私が特に影響をうけたのは、音楽においてでした。

中学の頃、私が好きだったバンドのライブにつれていってくれたのも、たくさんCDをくれたのも、そして初めて作った曲を初めて聴いてくれたのも、姉でした。

 

 曲を作ったことがあるひとはわかると思いますが、初めて作った曲を初めて人に聴かせるときって、好きな人に告白をする時よりもずっと緊張します。

 人生最大ともいえる勇気を振り絞って、姉に聴いてもらっているときの時間を私は今でも覚えています。

 

 私がボロボロの黒いヘッドホンとウォークマンを手渡すと、さっと耳に当てて、目を伏せて聴いていました。その間、時計の秒針の音がはっきり聞こえました。私は座っている布団の柄ばかり眺めて待っていました。

 聴き終えてヘッドホンを離してすぐ、姉ははっきりと「なっちゃん、レコード会社とかに送った方がいい」と言いました。私は虚をつかれて、思わず笑ってしまいました。

 何と答えたかは忘れてしまいましたが、「でも歌詞は二番から繰り返しじゃなくて変えた方がいいな」とか具体的なアドバイスもくれて、その後食べたおばあちゃんのご飯は、いつも美味しいけれど特に美味しく感じました。

 

 姉がちっとも茶化すことなく、まっすぐな目でそう言ってくれて、今思うと本当にそのおかげで、こういう事を続けてもいいんだ、と思えているんだとおもいます。

 

 その後私が高校生になって、姉は海外にしょっちゅういくようになりました。

でも相変わらず、私が休日に遊びに行くと構ってくれて、会うたびにその写真を見せてくれて、新しい彼氏(それはイタリア人だったり、中国人だったりしました)との話を聞かせてくれたりしました。変化の乏しい高校生活を送っていた私にとって、そういう話は本当に鮮やかで魅力的なものでした。

 そのころから、姉は海外に住むと公言していました。今思えば、もしかしたら良い思い出ばかりではない日本に居たくなかったのかもしれません。

 とにかくそんな姿を見ていると、もう、こういう風に姉に構ってもらって、神戸で遊ぶことはなくなるだろうと予感しました。

 

 だから、姉にどこに遊びに行きたい?と聞かれて、私は思い切って「ジャズを聴きにいきたい!」と答えました。

 それまで私が何をいっても臆することなく「いいで」と答えてきた姉が初めて少し驚いていましたが、すぐに「そうか~わかった。よし、行くか!」といって、その日のうちに北野坂の「ソネ」という所に行きました。

 

 初めて足を踏み入れた大人の世界でした。店内に入った瞬間、きっとオーナーさんだったと思いますが、どう見ても淡路恵子なマダムがこちらをちらっとみて、悠々と煙草をふかしていました。内心「わ~っ」と思いながら、着席しました。

 演奏は正直あまり覚えていません。ドキドキしすぎて。マリンバの音だけは少し記憶に残っています。

 今行けば、きっともう少しゆっくり聴くことができると思います。

(素敵な所だったのでぜひ行ってみてください)

 

 

 いろいろあって、祖母と姉たちが住んでいた父の実家はもうありません。

父は帰る場所がなくなってしまったと嘆きます。

私も住んだことは無いけれど、初めて曲を聴いてもらったあの部屋がもうないこと、そこにいつも居て、私の心のよりどころになってくれた姉にももう会えなくなることを思うと本当に寂しいです。

 

 けれど、家はなくなってしまっても街には思い出がたくさん残っています。

六甲山で羊と遊んだ日、鈴蘭台ですごした日、ルミナリエでおばあちゃんとはぐれた日・・・14才の頃の思い出が残る街はやっぱり特別な街ですね。

 

 

 

☆追記

 

 移住は来月頭からという事で、先週末、従姉と会って、初めて上に書いたような感謝の気持ちを手紙にして渡してきました。あと、L判サイズのちょっとした版画(文様の)もプレゼントしてきました。

 いつも通り楽しくおしゃべりして、すぐに帰ってしまったけど、手紙を読んだ従妹からすぐにラインが来ました。

 それがとても嬉しい内容でした。

 

 

 手紙泣けるやーん!この素敵なプレゼントはわたしの力になるわ。

 なっちゃんも好きなことに熱中して楽しい人生送るんよ!

 何か困ったことがあったらいつでも連絡しておいで。

 なっちゃんは私の妹よ☻

 

 

 

 

 

 

赤黄色の金木犀のあるアパートで

 

十月廿日

 

 最近どうですか。私はというと、卒論に追われております。

もちろん楽しい時もあるんですが、ふと中間発表があと数日後という事実を思い出すと心臓がキュッとなります。もっと余裕を持っていられるはずだったのに…。

月曜には一旦先生にみていただくのですが、処刑に近い気分です。

時間は残酷です。嗚呼。…とりあえず、暗い話はやめにします。

 

 

 気づけば秋も深まり、肌寒さを感じる日も多くなってきました。

数週間前から、香っていますね、金木犀が。

香りの御蔭で町のそこら中に生えていたことに気づき、毎年毎年驚いてしまいます。

 

 特に私の住む小さいアパートは、入り口に金木犀があって、なんと部屋のドアを開けた瞬間からほんのりと香ります。

 不思議な気分です。いつもと同じように部屋を出るのに、すとんと気持ちが落ち着きます。ハーブセラピーのような効果でしょうか。

 

 それにしてもこのアパートにおそらくあと二年は住む、と思うともっと改善の余地がありそうです。

 この部屋にて、生まれて初めてのメイクをしたり、深夜ラジオにはまったり、マーボー豆腐を一か月くらい作り続けたり、歌詞を書いてみたり、いろんなことをしてきました。とにかく物が多くて、時折断捨離をするのですが、結局またいらないものが増えてきます。ナゾだなぁ。

 

 …いや、理由はわかっています。家主が極端に飽きっぽいせいです。

 

 最近手に入れたのは壁掛けスピーカーです。これは、長く使うと思いますけど…。

 

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いいにほ~ひ

 

 再び金木犀のはなし。

 

 この部屋に住んで秋を迎えるのは四回目なのに、私は金木犀の香りを嗅ぐまで、金木犀のことを忘れています。

 この時期を過ぎれば金木犀の香りを思い出しもしないし、思い出そうとしてもなぜかその香りの輪郭を掴めません。

 だけど、本当にこの香りは好きです。不思議な関係だと思います。

 

 その目立たない姿のわりに、一瞬で心をつかむ香りを持っているのって、とても魅力的な木だと思います。

 たとえるなら、私の勝手な想像で『源氏物語』の「花散里の君」みたいな人かな、とか思ったり。

 「花散里」という人は、見かけは全然美人ではないけど、暖かい人柄や受け答えの見事さで、光源氏という超絶プレイボーイに一目置かれた人です。

 一番には愛されていないけど、決して忘れ去られることはなく、時々存在感を発揮するところが、似ているなぁと思います。 

 

 私の妄想を披露したところで、そろそろ筆を置きたいと思います。

ろくでもないブログですがやっぱり続けたいので、もっと面白い文章がかけるように、努力したいと思います。そういう気持ちに最近なりました。

 こういう風に自分の普段のなんでもない事を書くだけではなく、出来事やなにかを評論するような客観的な文章も書けるように、頑張ろうと思います。

 

 ここまで読んでくださったあなたへ、ありがとうございます。

風邪に気を付けて、元気でいてください。

 

                                            秋の夜長に

 

 

誰にも意味が分からなくなった古代の歌を、歌詞から想像して曲にしてみました

 

 長い長いタイトルですがそういうことです。

 

 千年前も二千年前も歌はありました。

残すことができずに忘れられていった歌がたくさんあると思います。

  文学のなかにそのヒントは残っています。

歌のメロディは残せなくとも、歌詞だけは今も知ることができます。

日本文学と音楽のどっちも好きな自分としては、魅力的すぎる世界です。

歌詞を読みながら、曲にしたい…と思い続けてきました。

 

 あまりにも気になりすぎたので、ちょっと自分の想像で補って、作ってみました。

歌の名前は、「竈殿遊歌」(かまどのあそびうた)です。

(※鍋島本『神楽歌』に所載する歌です。)

 

重要な歌詞は、こうです。

 

「 とよへつひ みあそびすらし ひさかたの あまのかはらに

  ひさのこゑする ひさのこゑする  

  ひさかたの あまのかはらに とよへつひ みあそびすらしも

  ひさのこゑする ひさのこゑする 」

 

 漢字を当ててあるものもありました。

 

「 豊竈 御遊びすらし 久方の 天の河原に

  久の声する 久の声する  

  久方の 天の河原に 豊竈 御遊びすらしも

  久の声する 久の声する 」

 

 今となってはこの歌の本当の意味がわかる人はいないそうです。

それも、わりと早くから意味が解らなくなっていたそうです。

 

でも、そうなったら好き勝手に解釈してもいいですよね。

ってことでつくってみました。

 

soundcloud.com

 

クオリティごめんなさい。

 

もし、よかったらどういう意味なのか考えてみてください。

歌詞をみて。

 

わたしは歌ってみて神様が雨を降らせたり、雷を鳴らす音は竈をたたく音に似てそうだな…とか思いました。「御遊び」は、そうやって天の上で遊んでいることかな、とか。学問的には違いますけど、どーせ正しい意味なんて誰にも分らないんだからそんなことは気にしない。

 

ひさのこえする~。って歌詞が特に好き。

 

 

だけど、それでも、だからこそ

 

 

 

 

これを書き始めたのは午前一時です。

深夜、こんな時間に文章を書くなんて自殺行為ですからもし後になって恥ずかしかったらすぐに消します。

 

「だけど、それでも、だからこそ」というアルバムを買いました。

最近活動を終了した、同年代のバンドのアルバム。

五曲入り1000円の一枚のアルバム。

 

そのタイトル、その言葉が今本当に胸にささる。

なぜならわたしも「だけど、それでも、だからこそ」って、思っているから。

 

わたしはずっと特別な人間になりたかったです。

理想の自分、がいて、それになれたら、わたしの夢はかなうとおもっていました。

恥ずかしいことについ最近まで。

 

小さいときは今よりずっとずっと目立ちたがり屋でした。

なぜって、見てもらう事は喜びだったから。

たとえ、幼稚園のお芝居で白雪姫に選ばれなくて、意地悪な魔女の役だったとしても、

同級生を泣かせるくらいの老婆の芝居をして、皆に注目してもらえたらそれでよかった。

でも、当たり前ですけど、

幼いころは「小さいから、可愛い」。しかしその万能感みたいなものを引きずったまま、わたしはすくすく育ち、思春期を迎え、この日本の大ぜいの少年少女と同じように、ミュージシャン達に憧れました。

彼らは、「普通」ではない人たちでした。

でも私は、どこまでいっても凡庸な人間でした。

身長は159センチ、体重は50キロ前後、足のサイズは23.5。顔は可もなく不可もなく、性格は明るくも暗くもない。

「器用貧乏」と言われて、深く傷ついたこともありました。

あとは、「カメレオン女」とか。

傷ついたってことは、図星だったわけです。

 

私の持つすべての要素が、言っているような気がしていました。

「お前は普通の。平凡な。なんのとりえも特徴もない女だ」と。

 

わたしはそれを見ないようにしながら、生きていました。

「今は、そうだけど。私は本当はずっとすごいんだから。もっとやれるんだから。」

そう言い聞かせていました。

大学に入って。

出会った人たちが、私の事を認めてくれました。私が生きてきた人生だったり、私の出来る事を、認め、大切にしてくれました。

私は、やっと自分の好きなように生きられて本当に嬉しかったです。

 

でも、それと同時に、私は現実を直視することにもなりました。

今まで、ただの夢物語だったから。現実になる事はなかったのです。

例えば、バンドとか。20歳を超えたこととか。あと働く事もそうだし。

なんだろう、自分の人生で、「いつか」と思っていたことが次々に現実に起きてきて、

それが、思ってたよりずっと難しかった。そして、ああ、私はやっぱり、ここまでなのかもしれない。って思うこともたくさんありました。

 

「私は、本当はすごいんだから」って思うことが私の原動力だったけど、

本当は、なんて言ってるうちに、もう、22歳を迎える年になってしまった。

愚かです。

やりたいことは、もっとすごい勢いで、大急ぎで着手しないといけない。

それだけはわかってきました。

 

しかしながら、冒頭の文句に戻りますが、

「だけど、それでも、だからこそ」って、おもってしまうのです。

 

何回も失敗してるのに、何回も自分の実力の天井らしきものを見ているのに、夢はかなわない。

自分のできる限りの努力をしても、こんなもんなのかって、思いたくないけどわかってしまう。

 

そして、心が折れました。

何回も折れました。

でも、折れても戻ってまた同じ「理想の自分」に向かって行ってしまうのはなぜなんでしょうね。

「だけど、それでも、だからこそ」って思ってしまうのは、どうしてなんでしょう。

 

きっと私だけではないと思います。

人間の心の謎。

 

(私が敬愛するオードリーの若林さん曰く、中毒なんじゃないかって。たまーにうまくいくから、それを求めて、同じ行動を繰り返す、って。)

 

 

ね、いつか報われるといいな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五年前の写ルンですを現像してみたら、エモかった

 

 梅雨ですね、はい。

私の家の近所にはちょっと難ありな野菜を安く売っている八百屋さん(通称アウトレット)があるのですが、最近では青梅がお安く大量に売られています。

 

 

去年は、梅酒を漬けました。

 今年は、梅みそなるものをつくってみようかと思っています。

N〇Kの五分番組でやっていたレシピで、味噌+砂糖+青梅でできるらしいです。

 

 

 

 

 そんなことはともかく、とうとうです。

とうとう、写ルンですのフィルムを現像してきました。

なんと、五年前のです。高校二年~三年の時、27枚撮りをゆーっくりと撮って、

現像に出すのがめんどくさくてこんなに時間が経ってしまってました。えへ。

 

 

「これ期限切れちゃってますね~色でないかもですよ」と店員さんに言われ、仕上がりをドキドキしながら待ち、受け取った時、私は意味も使い方もよくわかっていないのに、思わずあの言葉を言ってしまいそうでした。

「うわ…エッモ」

と。

 

エモい
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia


エモいは、英語の「emotional」を由来とした、「感情が動かされた状態」、「感情が高まって強く訴えかける心の動き」などを意味する日本語の形容詞。感情が揺さぶられたときや、気持ちをストレートに表現できないとき、「哀愁を帯びた様」、「趣がある」などに用いられる。

 

 私が感じたのは「趣がある」に一番近いかもしれません。付け加えるなら、「懐かしさを感じ」とかですね。

 

 つべこべいわずお見せしましょう!



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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トンネル

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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カニ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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キタノ天満宮・初めて府大に来た時に寄り道した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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桃かき氷が美味しかったお店。今でもあるのかなぁ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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高校の階段。ここで永遠発声練習してたなぁ、運動部に怪訝そうに見られながら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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高校の裏門。何回も遅刻しかけた。

 

 高校は校則にうるさいところで、先生も結構きびしかったけど、私があるときちゃんと遅刻してしまったことがありました。なんて言い訳しようか迷って正直に「ちょっと今日違う道で来たい気分だったんで…」って言ったら一番怖い先生が、笑って許してくれた思い出。

エモいな、とは思うけど、中高生時代に戻りたいとは全くおもいません。今五億倍くらい楽しいから。

卒業の時に先生からメッセージをもらって、そこに「あの頃は、よかった」なんて絶対に言わないでください。そんな人は、僕は嫌ですよ。今が、楽しいといえる人生を歩んでください。と、書いてありました。

 その時、私は先生にそう言ってもらえてほんとうにほっとしていたような、気がします。私間違ってないなって思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 はいおわり。

 

 当たり前ですけど、なにを撮ったかどこで撮ったか、完全に忘れてしまっていたので、まるでタイムカプセルみたいで面白かったです。改めて見ても、これなんだ?どこだ?って写真も多かったけど。

 

 これがエモってやつですか。

また写ルンですで遊びます。現像は五年後になるかもだけど。