もうすぐ遠くに行ってしまう姉と、神戸という街

 

 

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 私の姉の話を書きます。

彼女はもうすぐ海外に移住してしまうので、当分会えなくなります。

寂しいですが、私も大人にならないといけないと思わせられる出来事です。

 

 姉とはいっても正確には従妹で、今年二七歳です。あっちがどう思っているかはわからないけれど私は姉のように思っています。もう一人、三〇歳の姉もいて、二人とも仲は良いですが特に年が近い姉にはあらゆる影響を受けました。

 

 よくふざけて、「いつか私達の話を小説か何かにしてな、笑えるから」と彼女達はいいます。最近知ったことがたくさんあるのですが、私がもし同じ立場だったら絶対に彼女達のようにはいられないと思います。

 詳しい話はまだ私も全体を掴めていないし、彼女達にも悪いので胸の中で温めておいて、いつかちゃんと昇華させたいと思います。

 でもとにかく私が知る限り一番強くて、優しくて、そして明るくて、

エネルギーが常に全開という感じで、いるだけで浮足立ってくるような人達です。

 

 

 思い出がありすぎます。

 記憶の中の姉は、いつも遠くを見ていた気がします。あらゆる意味でです。

友達に囲まれながら、でも決して友達を家には呼ばず、休日に私が遊びに行くと「おいで」といってベッドの上で洋楽を流しながら新調したネイルや、海外セレブの雑誌を見せてくれました。姉がくれる服はいつも嗅いだことがないような甘い香水の匂いが染みついていて、私が何も話さなくても姉のおしゃべりは止まらなくて、好きなものがたくさんある姉の話を聞いているだけで楽しかったです。

 

 私が特に影響をうけたのは、音楽においてでした。

中学の頃、私が好きだったバンドのライブにつれていってくれたのも、たくさんCDをくれたのも、そして初めて作った曲を初めて聴いてくれたのも、姉でした。

 

 曲を作ったことがあるひとはわかると思いますが、初めて作った曲を初めて人に聴かせるときって、好きな人に告白をする時よりもずっと緊張します。

 人生最大ともいえる勇気を振り絞って、姉に聴いてもらっているときの時間を私は今でも覚えています。

 

 私がボロボロの黒いヘッドホンとウォークマンを手渡すと、さっと耳に当てて、目を伏せて聴いていました。その間、時計の秒針の音がはっきり聞こえました。私は座っている布団の柄ばかり眺めて待っていました。

 聴き終えてヘッドホンを離してすぐ、姉ははっきりと「なっちゃん、レコード会社とかに送った方がいい」と言いました。私は虚をつかれて、思わず笑ってしまいました。

 何と答えたかは忘れてしまいましたが、「でも歌詞は二番から繰り返しじゃなくて変えた方がいいな」とか具体的なアドバイスもくれて、その後食べたおばあちゃんのご飯は、いつも美味しいけれど特に美味しく感じました。

 

 姉がちっとも茶化すことなく、まっすぐな目でそう言ってくれて、今思うと本当にそのおかげで、こういう事を続けてもいいんだ、と思えているんだとおもいます。

 

 その後私が高校生になって、姉は海外にしょっちゅういくようになりました。

でも相変わらず、私が休日に遊びに行くと構ってくれて、会うたびにその写真を見せてくれて、新しい彼氏(それはイタリア人だったり、中国人だったりしました)との話を聞かせてくれたりしました。変化の乏しい高校生活を送っていた私にとって、そういう話は本当に鮮やかで魅力的なものでした。

 そのころから、姉は海外に住むと公言していました。今思えば、もしかしたら良い思い出ばかりではない日本に居たくなかったのかもしれません。

 とにかくそんな姿を見ていると、もう、こういう風に姉に構ってもらって、神戸で遊ぶことはなくなるだろうと予感しました。

 

 だから、姉にどこに遊びに行きたい?と聞かれて、私は思い切って「ジャズを聴きにいきたい!」と答えました。

 それまで私が何をいっても臆することなく「いいで」と答えてきた姉が初めて少し驚いていましたが、すぐに「そうか~わかった。よし、行くか!」といって、その日のうちに北野坂の「ソネ」という所に行きました。

 

 初めて足を踏み入れた大人の世界でした。店内に入った瞬間、きっとオーナーさんだったと思いますが、どう見ても淡路恵子なマダムがこちらをちらっとみて、悠々と煙草をふかしていました。内心「わ~っ」と思いながら、着席しました。

 演奏は正直あまり覚えていません。ドキドキしすぎて。マリンバの音だけは少し記憶に残っています。

 今行けば、きっともう少しゆっくり聴くことができると思います。

(素敵な所だったのでぜひ行ってみてください)

 

 

 いろいろあって、祖母と姉たちが住んでいた父の実家はもうありません。

父は帰る場所がなくなってしまったと嘆きます。

私も住んだことは無いけれど、初めて曲を聴いてもらったあの部屋がもうないこと、そこにいつも居て、私の心のよりどころになってくれた姉にももう会えなくなることを思うと本当に寂しいです。

 

 けれど、家はなくなってしまっても街には思い出がたくさん残っています。

六甲山で羊と遊んだ日、鈴蘭台ですごした日、ルミナリエでおばあちゃんとはぐれた日・・・14才の頃の思い出が残る街はやっぱり特別な街ですね。

 

 

 

☆追記

 

 移住は来月頭からという事で、先週末、従姉と会って、初めて上に書いたような感謝の気持ちを手紙にして渡してきました。あと、L判サイズのちょっとした版画(文様の)もプレゼントしてきました。

 いつも通り楽しくおしゃべりして、すぐに帰ってしまったけど、手紙を読んだ従妹からすぐにラインが来ました。

 それがとても嬉しい内容でした。

 

 

 手紙泣けるやーん!この素敵なプレゼントはわたしの力になるわ。

 なっちゃんも好きなことに熱中して楽しい人生送るんよ!

 何か困ったことがあったらいつでも連絡しておいで。

 なっちゃんは私の妹よ☻